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子どもを変えるのではなく、先生が変わらなきゃ。

なんとか期限に間に合わせて、「宿題」をひとつ片付けました。

今日の更新は、先日の地元の研修の余談・・・といっても、けっこう大事な話を書き留めておこうと思います。

あの日、参加者の中に、中学校の英語の先生が2人いらっしゃいました。

そして、グループワークの際、そのグループがあみだクジで引いたのが「書字に困難のあるBくん」。

「Bくんも含めた学級で使用する、ワークシート・練習問題・宿題を作ってください」という課題を与えられたお2人の英語の先生は、とっても悩んでいらっしゃいました。

書けない子に、よりによって英語の授業で、どんなプリントを作ればよいのか、と。

そこを考えてもらうための課題なので、口出ししすぎるのもどうかと思いましたが、

「私が担当している中学生の子も、アルファベット書けないんです。でも、読めるし、単語もちゃんと覚えてます。だから、選択肢式のテストだったら、けっこうできると思うんですけどね。それに、英語圏は日本以上に読み書き障害の子どもたちが存在しますよ」

と、ちょっとヒントを出してみました。

先生方もうなずいて、

「発達障害の子たちだけの問題ではなくて、たとえば帰国子女で、ペラペラ話せるのにスペルが書けない子とかいますね・・・・」

「英検なんかだと、選択肢式だからできるけど、学校のテストでは点が取れない子も」

そうそう。

すると

「でも、困りますよね」

「英語において《書く》は評価の中の25%を占めるんですよ」

「通常学級で学ぶ以上は、どこに出しても恥ずかしくないようにしないと・・・・」

「なんとか書けない子を書けるようにしてあげたいですよね」

と、先生の議論は続きました。

この日の研修では、「従来の視点」と「特別支援の視点」を対比させ、後者の視点から教材を作るというのがテーマでした。

この議論は、まさに「従来の視点」なのかも。

クジで引いた「Bくん」は架空の生徒ですが、Bくんは「書けないこと」に困っているのでしょうか?

私は、Bくんが本当に困っているのは、「書けない」ことによって、学びにアクセスできないこと、本来の力を発揮できないこと、ではないかと思います。

そのハンデを取り除くことが支援。

先生が、書けるようにしてあげたい一心で、彼に書くことを求め続けたところで、それができるなら「障害」とは言わないでしょう。

もちろん、毎日毎日、何年もかけて、アルファベットの練習をすれば、書字障害のBくんだって、アルファベットを4線ノートからはみ出ないように書けるようになるかもしれません。

だけど、その努力と時間を割く間、彼は持てる力を評価してもらえず、また、学習を深めるチャンスを奪われるのです。

回答の形式を変えれば答えられるなら、テストの形式を変更する。

パソコンをつかえば書けるなら、提出物にパソコンの使用を認める。

個別のニーズに合わせた支援とは、そういうことです。

それを認めないのは、視力の悪い子に「もっと視力をのばさなきゃ!」、足の不自由な子に「歩けるようにならなきゃ!」と言って、メガネや車椅子の使用を禁じるのと同じくらいの無理を強いているのです。

大学に入れば、レポートや論文はパソコンで作成する時代なのに、その前に中学で可能性をつぶさないでほしい・・・と思っています。

参加してくださったお2人の英語の先生には、たぶん、私の言いたかったことは伝わったと思っています。だからこそ、現場とのジレンマを強く感じたのではないかと想像しています。

中学だけではなく、小学校もまだまだ、同じような意識が強く残っています。

従来の価値観から抜け出すことなくして、特別支援教育も、学びのUD化も、成し得ないのだろうなぁ・・・・。

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