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障害はカリキュラムの方にある・・・CASTの問題提起に

今日は職場のミーティングで、出張の報告を少し。

「たとえばさ、うちに『字が書けない』っていう子がくるじゃない。そしたら、私たちまず最初にどんな指導をしようとする?」

スタッフに、そんな問いかけをしてみる。

「えっと・・・・なぞりがきとか、字をパーツごとに分解して組み合わせるとか・・・・」

「ね。まず、そこから考えるよね。どう教えたらこの子が字を書けるようになるか、あの手この手を」

でもね、今回取材した学校で、OTの先生に聞いたの。たとえば教室に字が書けなくて困っている子がいたら、具体的にどんな指導してますかって。そしたら

『キーボードの打ち方を教える。それから・・・・』

って、真っ先に出た答えが、これ。

UDLの前文に

CASTも当初は、障害のある子に対して、通常の授業に合わせて障害を克服させること、“治す”ことに焦点を当てていたが、やがて障害があるのはカリキュラムの方だと考えるようになった。適応させるための負担は、子どもではなくカリキュラム(教育)の方が負うべきだと、カリキュラムの調整の方に視点を移していった。

というくだりがあるのですが、

その意味を、自分の耳目で、肌で、感じたのでした。

スタッフから、疑問の声があがりました。

「でも、そうしたら、努力する機会やその子を伸ばす可能性を奪うことにならないか?」

それは私も何度となく自問してきたし、学校の先生からも繰り返し質問されたこと。

もう私は確信を持って言えます。

無意味な努力を強い続けることこそ、その子の可能性を奪っている、と。

書けない子は、努力をしていないから?

ちがう。

私は子どもの頃、書けるようになるための努力など、ほとんどしていないのに書けるようになった。うちの甥っ子や姪っ子も、気付けば落書き帳に字を書き始めてた。たぶん、それが多数派。

他方、書けるようになるために、他の子たちの何十倍も何百倍も努力が必要な子がいる。

だから彼らは、毎日何時間も親御さんと猛特訓したり、月に2万も3万もかけてうちに通ってきてくれる。(私たちはそれで食べている)

こんなのって、不公平だよね。

努力が要らないと言っているんじゃなくて。

それだけの努力を、もっとその子の可能性を伸ばせる方に使うべきなんだ。

書けないと学べないわけではない。書くことは学びの目的ではなく手段にすぎないのだから。その子が他の手段で学べるなら、その方法を認めよう。

学びの多様性を支えるために、多様な学び方のオプションを用意する。

「学びのユニバーサルデザイン」の大前提です。

CASTからの問題提起は、ともすれば私たちを不安と混乱に陥れます。

私たちが今までやってきたことは、間違っていたのか?

私たちの存在意義が、なくなるのではないか?

もっとぶっちゃけて言いましょうか。

字の読み書きができない? よしよし、私たちが指導してあげましょう。

不器用? はいはい、手先の訓練しましょうね。

空気が読めない? それなら、ソーシャルスキルトレーニングにいらっしゃい。

もっといろいろありますよ。ワーキングメモリートレーニングに、ビジョントレーニング、感覚統合に、それからそれから・・・・

それが、「専門家」という名のつく人たち(我々を含め)のお仕事。

言うまでもなく、どれも意味があるし、重要なこと。

でも、だからこそ気をつけないと、あの子はこれができない、この子はあれができないと、「できないこと」に注目するだけでは、弱者としてレッテルを張り、「専門家」の手元に囲い込むことになりかねない。

もちろん、必要最低限のリテラシーやラーニングスキルを身につけるための介入的な支援は必要。

だけど、

私たちが、意識改革を迫られているのは、間違いありません。

これからは

患者が増えて喜ぶ医者ではなく、皆が健康でいるために最善を尽くす医者のように、

私たちは、一人ひとりの子どもたちの「自分の学び」を保障し、エンパワメントして、学校に、社会に送り出していけるような、そんな支援者をめざそう。

個別指導も、SSTも、アセスメントも、そういう気持ちでやっていこう。

と同時に、どの子も「自分の学び」が保障されるような学校や社会になるように、働きかけていくという仕事も並行してやっていこう。

字の読み書きができない? 読み上げソフトや音声入力ソフトを使ってみる?

不器用? じゃぁ、提出する作品は彫刻じゃなくて映像の方にしたら?

空気が読めない? じゃぁ、視覚支援や構造化で、理解しやすい環境にしなきゃね。

そんな時代が、すでに来ています。

学びのユニバーサルデザインは、学びを容易にすること、レベルを下げることとは違う。

一人ひとりが、自分に合った「チャレンジ」、つまり努力の機会を与えられること。

NY&ボストンで見聞きしてきたこと。学校の様子。UDLのこと。

順次書いていきます。

更新が滞っていますが、→ UDL紹介(日本語)のサイト

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気持ちはハイなのですが、体がだるだるです。

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