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今頃になってすみません。大府市の研修会、ご質問にお答えします。

8月25日に、愛知県大府市の小中学校の先生方の研修会でお話をさせていただきました。
350人以上の参加者がいらっしゃったと伺っています。
終了後のアンケートの回収率がすごく高くて、驚きました。
しかも、多くの方の感想から、内容を前向きに受け止めてくださったことが伝わってきて、嬉しい限りです。
その中に、いくつかご質問をいただいていましたので、大変遅くなってしまいましたが、この場を借りて私なりにお答えさせていただきます。
★まずは、気がかりなお子さんについてのご質問から

Q.「どうせオレなんか…」という子どもがクラスにいます。“幼少期から認められたり、ほめられたりした体験が必要”というお話がありましたが、高学年になった今、どのように接していくと、自己有用感を高めることができるでしょうか。小さなことでもほめたり、認めたりということを繰り返していますが、なかなか変化がみられません。

A.自己肯定感が低いまま高学年になり、そろそろ思春期にも突入し、なかなか難しい問題ですが、基本的には、「小さなことでもほめたり、認めたりを繰り返す」というその方針が大切だと思います。時間がかかりますが。ただ、年齢も挙がってきていますので、とってつけたように褒められても、なかなか子どもには響かないのが難しいですね。
「できた」を自他ともに感じられる場面(それこそささやかなことでいいので)を、さりげなく、でも意図的につくり、すかさず「できるじゃん」「すごいねー」と褒める…私はそんなこともに心掛けています。

Q.特別支援のクラス5人の中では活発でいいたいことが言えるのに、交流学級の中ではほとんど活動しない、頭を抱えて下を向いている子がいます。交流は無理なのか、何か少しでも自分を出す方法があるのか、知りたいです。

A.慣れたメンバー5人の中と、いつもとは違う顔ぶれ、それも40人近い集団の中に放り込まれた時と、同じように振る舞えないのは、ある意味ふつうではないでしょうか。ギャップを埋めるためにどのような支援が必要なのか考えてみていただけたらと思います。その子の不安感を払しょくするためにどんな工夫や配慮が必要かはケースバイケースと思いますが、例えば逆交流で慣れた子たちと同じ班にするとか、交流先で行う活動を事前に支援級で取り組んで自信をつけておくとか…。もし本人が説明できるようなら、交流学級の時に何が不安だったり困ったりするか聞いてみることも必要かと思います。
★合理的配慮についての疑問も複数いただいています。

Q.合理的配慮として、問題文を読んであげてテストに取り組んだ場合の児童について、他の児童と同じように評価してよいのかどうか。

A.はい。これはYESだと私は思います。というか、障害によって発生している不利益を排し他の児童と等しく機会を与えるための配慮が合理的配慮です。つまり、テストであれば、障害のために問題文を読めなければそもそもその子の実力は評価できないので、同等に評価するために問題文を読み上げる、ということになるでしょう。読み上げなくても問題が読める人には必要のないことですが、その人には、読み上げなければテストの問題がわからないわけですから。

Q.部活動で試合において戦術を説明したところ、口頭説明では理解できず、メンバーから外すという場合は、合理的配慮が足りないとなってしまうのでしょうか? 勝てなければ指導不足と言われ、勝つためにメンバーを選べば合理的配慮不足と言われるのはつらいなと思った。

A.このご質問にどう答えるべきか、ずっと悩んでいます。 なぜかというと、合理的配慮うんぬん以前に、部活の目的って何だろう???と悩み。。。スポーツですから、勝負ですから、「勝つことをめざす」べきですが、「勝つ」は部活の目的なんだろうか、とか。それから、戦術が口頭で伝わらないとメンバーから外さざるを得ない競技って何だろう???と、これまた悩み。。。運動能力、技術の高低ではなく、監督の指示が伝わらないから戦力外? あ、でも、メンバーから外して勝てるなら、そもそもその子が必要な戦力ではなかったのか???と、悩み。。。よくわからなくなってしまったので、じゃぁ、もしこれが障害ではなく外国人だったらどうかな?と考えてみました。 今日日どんなスポーツだって多国籍チームが珍しくない時代、「言葉が通じない」からメンバーに入れないとか言ってる場合じゃない、もちろん本人も努力すべきですが、伝わらない、けど戦力として必要な選手なら、あの手この手で伝える方法を考えるのではないでしょうか? 
・・・・お答えにはなっていないと思いますが、何かヒントになれば幸いです。
★「ダンナがADHDで・・・」という話に、思わぬ反響もありました。

Q.ご主人にADHD傾向があり、病院に連れていかれて診断を出してもらったというエピソードを伺ったが、本人が自分の性質を病気として知っておくということのメリット、デメリットはどんなことか。特に、まだ不安定な子どもだとどうでしょうか?

A.これはですねぇ、うちの場合は、「身内の人間にADHDの診断が下されるプロセス」を経験するチャンスだ!と職業的欲求に勝てなかった妻と、面白がりで自分がネタにされることを厭わない夫のケースなので、全くご参考にならないと思います。ただ、一時はやる気喪失、会社行きたくない、オレは鬱かもしれないと伏せっていたダンナが、「そうかADHDなんだ、オレ~」と自己理解し納得したことで、スッキリ感はあったようです。子どもの場合も、「障害」(「病気」というのは語弊があるかと)という言葉を使うのは私は好みませんが、適切なタイミングで、ある程度サポート体制(保護者の認識、学校の理解も含め)が整っている中で、自分の特性を説明してもらうのは良いことと考えています。ただし、「きみはダメなんじゃなくて、きみはこういうことが苦手なタイプなんだよ」「だから、こういう工夫をしたり、こういうやり方で苦手なことをカバーしていこうね」と、前向きに説明できる人と応援してくれる理解者が不可欠ですね。
以上、いずれも私なりの考えですので、異論反論あるかと思いますが。
アップが遅くなって大変失礼いたしました。

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