用語の再定義|アンダンテ西荻教育研究所・アンダンテプリモ

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用語の再定義

本日は閑話休題。

特別支援教育士の養成セミナーで、今日は上野一彦先生のお話を聴きました。上野先生の講義、学生時代以来です。相変わらず魅力的な話術と、我が意を得たりと嬉しくなるような話題が多々あり、15年前の15倍ぐらい熱心に拝聴しました。

とりわけ大きな収穫だったのが、私にとって「言葉の再定義」となったことです。

第1に、「軽度発達障害」という言葉。このブログでも職場でも、私は「軽度発達障害」という今流行りの用語を意識して避けています。便利な言葉ですが、初めて耳にしたときから「いやだな」と思っていました。一つには、混乱を招きやすいこと(LD、ADHD、高機能自閉症など知的障害のない発達障害、という意味で用いられるそうですが、じゃあ「軽度の知的障害」は含まれるのか含まれないのか?えとせとら)。 もう一つは、重大な誤解を招く恐れがあること。「軽度」といわれると、「軽い障害」という印象を与えてしまいそうですが、問題の深刻さや必要な支援の内容は、障害の程度とは別次元のことです。障害の「程度」ではなく「ニーズ」による支援が大事になるこれからの時代には馴染まないと思うので・・・・。ところが、上野先生も「この言葉は良くないですね。新しい良い言葉を考えたいですよね」とのことでした。私はてっきり、先生がこの用語の拡がりの震源地かと誤解しておりました。ぜひとも、影響力のある先生に「使わない」方の震源地になっていただきたく思います。

第2に「LD(学習障害)」は教育用語であると、強調、再確認してくださったこと。さらには「LDはディスレクシアに始まってディスレクシアに終わるのかもしれない」という表現を上野先生の言葉として直接耳にし、個人的にホッとしました。実を言うと、私自身は「LD」という用語にもあいまいさ感じていたのです。なぜなら、教育用語としての「LD」と医学用語である「ADHD」や「高機能自閉症」が並列で、あるいは混ぜこぜで使用されているという奇妙な現状もわかりにくさを助長しているし、「学習面に問題がある子がLD、行動面に問題がある子がADHD、社会性・コミュニケーションに問題のある子が高機能自閉症」という大雑把な括り方が、かなり現場で誤解を引き起こし、それぞれの障害の本質やとるべき対応を見えにくくしてしまっているように思うからです。(このセミナー、そういう分類で説明される講師の先生が多くて、ひそかに眉をひそめていました。その説明では、LDには学習支援、ADHDには薬物療法、高機能自閉症にはソーシャルスキルトレーニング、と単純に早合点してしまう人がいるのではないか?と冷や冷やします。社会性に問題を引き起こすADHDや学習面につまづく高機能自閉症児もいっぱいいますし・・・。) 

そこで、私は「LD」を狭義の「読み書き障害」のつもりで使っています。その上で、「LD系には聴覚支援」「自閉系には視覚支援」・・・・と、これまた私なりの乱暴なつかみ方ですが、「自閉症の三つ組み」説明よりはよっぽど現場で役に立つだろうと勝手に自負。上野先生の「ディスレクシアに始まり・・・・」発言は、私の独りよがりな解釈を後押しされたように、都合よく受け取らせていただきました。さらに、さらに!「定義はあくまでも『現時点のもの』。これからも変わっていく」「かつては『非言語性LD』と言ったけど、高機能自閉症の子たちだったんですね」。権威と呼ばれる偉い学者先生方には自己批判を嫌う方も多いのに、上野先生はなんと柔軟で前向きなんでしょう。「でもLD学会は不滅です!」だそうですけれど。(笑)  

私は、定義はもっともっと細分化し、(たとえば高機能自閉症とアスペルガー症候群を区別しないという考え方もありますが、私はやっぱりこの二つ別物に見える・・・)、さらには分類自体が意味を成さなくなり、個別の特性・症状のアラカルトになっていくのではないかという予感がしています。

というわけで、15年前の授業で教わった知識をリニューアルできて、ほんとスッキリしました。今、教員免許更新制導入批判の原稿書いてるんですが(それでこのブログに手が回らない)、・・・・・やっぱり、更新制もいいかも。

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